The Otalsの今後のセットリストを考える

事の発端

The Otals(以下オタルズ)のライブに行ってきました。

 ライブにまつわる楽しみの一つとして、セットリストを予想するというのがある。リストまで肩ひじ張らずとも、一曲でも「この曲やって欲しい!」と期待することは心躍る営みのはずだ。そして私も、ライブを目前に控えその営みに身を投じることを楽しんでいる。とはいえ。

 少し過去にさかのぼる。The Otals初の大阪、そして名古屋ライブのセトリを考えているとき、どこかで思考が凝り固まってきていると感じていた。2025年2月の新代田FEVERと、8月の渋谷WWWのライブを見たことで、ある程度セトリの型が見えつつあった。始め三曲はその時旬のアップテンポナンバーに「ドラゴンなんだって」や「天使にマーチンを」など、一緒に歌ったりコーレスのある曲を配置して、MC明けラスト三曲は「リバーズエッジがきこえる」「波ちゃんとバク」「マイ・ロリポップ・ナイトメア」「そしてチャイナブルー」「ティーンエイジはきみのもの」あたりからチョイス、数曲はアンコールに回せば盛り上がること間違いなし!というように。くわえて、今回は新アルバムのリリースツアーである。当然、収録曲が中心になるし、東京公演のセトリが基本形になるだろうと考えていた。

 安直すぎる私の予想は始まって一秒で吹き飛ばされた。一曲目から「そしてチャイナブルー」!!!! そして4~6曲目を聴いているときに、自分の愚かさを思い知った。今回のライブは一味違う。いや、オタルズ側は何も違うことはない。これは私の怠慢だった。考えることをやめた者に明日は訪れない。

 ライブはつつがなく進み、MCのターンに入る。そこでGt.Vo.のJune FAXxxxxx氏は、名古屋に自分たちを呼んでくれたファンへサプライズ、そして「どうせ大阪公演とセトリ一緒だろ」と思ってたファンへの意趣返しとして今までライブで一度も演奏したことのない曲を披露すると言い、フロアは歓喜の渦に包まれた。演奏されたのは「Martindale」と「月まで行って帰れるくらい」。Martindale、過去に何度もライブで聴きたい!と思っていたけど、まさか今日だとは思わなかった。2月だし、夏終わっちゃってるし……。いつも「Matindale」とGalileo Galilei「夏空」の歌詞で、どっちがビル風でどっちが海風だったか混同してしまっていたけど、今回で完全に覚えました、海風です!「月まで行って帰れるくらい」も、オタルズの曲の中でトップクラスに歌詞が好きで、しかもしかもFAXxxxxxの歌うバラードということで大好きな曲だった。私も同様に熱狂する中、背筋を正される思いだった。この意趣返しの矛先は名も知らぬ名古屋のオタルズファンだけでなく、自分にも向いていた。

 そこで!!!

 真剣にセトリ予想をし、ライブまでの日々の無聊を慰めるために、オタルズの曲のライブ演奏歴を調べてみよう!!!というのが今回の記事の表向きの趣旨です。

 表向き? そう、表向きの趣旨とは別に邪な意図もある。今まで、四度オタルズライブを見て、その度に新鮮にびっくりするのは、彼らが思ったよりも我々の言動を観測しているということ。そして、天邪鬼ながらも、ふと口にしたことを取り上げて叶えてくれること。つまり、「ライブで全然やってないよ!!!」という曲たちを可視化することで、オタルズに圧をかけようという裏のが目的となります。

 ……すみません、これは半分冗談で、ライブのセトリはその時々の活動状況が反映されて当然です。圧なんてもってのほかで、こうやって可視化することでセトリ作成に変なバイアスがかかってしまうのは不本意だ。いや、そんなことはないだろう。圧をかけられるなんて傲慢な考えだった。天邪鬼なオタルズさんはこんな駄文を読んだところで意思決定に影響を与えられるはずはない。あくまで一ファンのささやかな願望として読んでいただきたい!

 

集計ルール

 ルールというほど大したものではないが、インスト曲およびライブSEは除いた。また、発売日は音楽配信サービスでの配信日を記載。それでは見ていきましょう。

一度もやっていない曲

色付きはMVがある曲

 全部聴かせてほしいだろ。

 一度もやってない14曲のうち、シングルは「Little Rainy Ghost(feat.Lio)」と「ショートヘアーのクロニクル」の2曲、残りはすべてEPおよびアルバムの収録曲。MVありは1曲だけ。ちなみに名古屋前は20曲でした。ただ、名古屋で演奏された6曲のうち新アルバム収録曲と新曲は3曲なので、純粋な意味で未演奏だったのは3曲になる。そう考えると、1回演奏のレア曲との差というか、演奏されたかされてないかを別つものって無いのかもしれない。そのうちライブで披露され私たちを驚かせてくれるに違いない。

 とはいえ、一回だけじゃ足りない、今後毎回やってくれよ!!!という曲たちがこのリストの中にも、人それぞれあるに違いない。

 個人的には「スタインバーグに憧れて」「サイバー・パンク・カスケードQ」はライブ映えするだろうし、「先輩はサンダーソニアのように」→「麦の頃、ふたたび」を生で聴いてみた過ぎる。ちょうどサブスクでは配信されていない1stEP「The Night Swallows」の曲だし販促になるんじゃないでしょうか。定番になってくれ~~~

1回(レア曲)

 続いてレア曲。行けなかったライブのセトリに名前を見つけるとくやし~~~となる曲たち。「例えば海辺の町ならば」を聴けた人がうらやましい!!!

 シングル曲は新曲含み7曲。最新アルバム「All Imperfect Summerland」収録曲は3回のリリースツアーですべて演奏されたことになる。

 こうして見ると、もっとライブ定番曲になってもいいのに、と思う曲がたくさんある。「このまま、海まで」「SNS:あるいは東京の歌ばっかりだ」とかめちゃめちゃ盛り上がってたし、「きみはテレプシコーラ」はみんなでシンガロングできる。個人的に印象深いのは「ストロベリーショートケイクス」「クロスワードを解きながら」「リズのきもち」など。そして名古屋の「Martindale」と「月まで行って帰れるくらい」、そして「千歳はあまりに遠すぎる」忘れられないアクトになったぜ。いや、それで済ましてはならない、もっとやってください。

2回~3回(定番曲)

 2、3回で定番というのどうなんだというお声があるかもしれない。けれどまだ5回しかライブをやっていないので、そういう認識になってしまうのは勘弁いただきたい。

 もうかなり聴きなれた曲たちという感じがする。AISツアーでは収録曲の「マイ・ロリポップ・ナイトメア」「アンチソーダにいわせれば」「シュシュをあげるよ」「オフィーリアにもう一度」「ウェンズデーにおまかせ!」が皆勤賞でした。特に先行配信されたシングル「アンチソーダにいわせれば」はツアーを通して演奏順を縦横無尽に行き来し、その度に違う顔をのぞかせてくれた一曲だった。東京で一曲目、名古屋で最後の曲というのはニクい演出。

 「天使にマーチンを」「ドラゴンなんだって」のライブでの安心感たるや。「修羅だってクラスメイト」の体が沸き上がってしまうグルーヴも、ライブだとことさら際立っている。「チートコードは給水塔」もライブでとても印象的な曲。いつもより長めでアレンジの効いたイントロに、ビリビリ響いてくるドラム&ベースの低音、そしてファックスの弾く遊び心満載のリフと盛りだくさん。必見です。「アステロイド・フォーク」は2回しか聴いてないのに、すっかりライブのイメージが付いてしまった。でもまだまだ聴き足りない。「ナナマルサンバツ」のスタメン落ちが地味に悲しいです、今後のライブに期待。

 ライブ後半に持ってこられがちな「波ちゃんとバク」「リバーズエッジがきこえる」この2つもどちらか片方でも聴かないと満足できない体になりつつある。2曲ともすごくライブ映えするし声を張って歌う曲なので、そのトーンとか表情、あるいはギターをかき鳴らす身体表現で、ライブでしか伝わってこない感情が多く存在するのだと思い出させてくれる。今後も後ろの方で演奏してくれるととても喜びます。

 おもしろいのはCD版限定曲がすべて一度は演奏されていること。何なら「革命前夜のスーパーマーケット」は2回もやっている、これもすごくいいんですよ……。セトリに一曲は何かしら限定曲が入ってくるこの流れは今後も継続されてほしい。

4回以上

 4回以上の演奏回数を誇る、ライブの(もうオタルズの、と言っていいかもしれない)代表曲たちです。全ライブを通しての皆勤賞は「そしてチャイナブルー」「ティーンエイジはきみのもの」、おめでとうございます!!!納得の2曲だ……。「ティーンエイジはきみのもの」は最後の曲もしくはアンコールの2曲目と、いずれにせよ締めの曲として登場する。「そしてチャイナブルー」にも同じイメージがあったなかで、今回名古屋公演のトップバッター起用には驚かされた。そんでもって、初っ端「そしてチャイナブルー」も相当に良かった。特にみんなで「らったったらら~」と口ずさむ場面は終盤のさみしさが印象づいていたから、これから始まるぞ!!!という高揚感で歌えたのは新鮮だった。終盤以外で聴く「ティーンエイジはきみのもの」も印象が変わるんだろうか。

「シナリオライターを撃たないで」「ウェンズデーにおまかせ!」も間違いないというか、一発で会場を沸騰させるパワーを持っている。今回のAISツアーで一番楽しかった曲を選ぶなら「シナリオライターを撃たないで」になると思う。ひたすらに腕を振っていた。

 この4曲、特に皆勤賞の「そしてチャイナブルー」「ティーンエイジはきみのもの」はオタルズの曲でも抜けて人気なイメージがある。どんどん人気になっていくオタルズ、初めてオタルズのライブに行く人は今後も増えていくはず。そのことを加味しても、この2曲が固定化されるのは意味があると思う。全然個人的な気持ちとしても、大好きな2曲なので毎回ライブで聴きたい。一方、今後曲が増え、スタメン争いが激しくなっていく中で、もっといろんな曲を聴きたいという思いも強くなっていくだろう。そんなアンビバレンスな感情に心を引き裂かれそうになりながら、これからもセトリ予想を行っていく。そして迎えたライブ当日、実際の演奏を目にし、カタルシスに酔いしれ、心からの笑顔を浮かべ、デカい声で「裏切られた!!!」と叫ぶのだ。

全体リスト

「水曜、6限、空中ブランコ」のセルフカバー待ってます、ほまに。

おわりに

 というわけで、名古屋ライブの衝撃をそのままに勢いだけで書き上げた駄文をここまで読んでくださりありがとうございます。あらためて読み返すと中身が無さ過ぎてびっくりする。でもなんであれオタルズの記事は増えてほしいんですよ、オレ毎日noteでオタルズのパブサしてんですよ。

 それはさておき。新アルバム「All Imperfect Summerland」のリリース、それをひっさげて東名阪を巡るツアーが終わり、ひと段落だな~~と勝手に感慨深くなってみる。2025年を思い返してみると、最新作が最高傑作を更新し続ける作品群に加え、3回もライブを見ることができ、その度に心に沁みる演奏があり、とてもしあわせな一年だったと思います。活動を続けてくれたオタルズにありがとうの気持ちでいっぱいです。だからこそ、名古屋公演のMCで語られた、大手レーベルに所属していないアーティストはデカいハコを抑えるのが難しいという話は衝撃的だった。とはいえ、そこで立ち止まるではなくやれることを探して、バンドを続けようとしてくれていることがなによりもうれしく、そしてありがたいと思います。今後もオタルズを追いかけます、8月にまた会えますように。サンキュー!!!!!

 


結論→ライブは17曲では足りない。

 

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エンディングテーマ

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【ライブレポート】The Otals『All Imperfect Summerland』2025.08.16

2025年8月16日、渋谷WWWで行われた The Otalsのライブ『All Imperfect Summerland』に行ってきました。

渋谷WWWの入り口に張られたライブのポスター。不自然な黒塗りが存在する。

 The Otals(以下、オタルズ)のライブに行くのは今回で二回目になる。

 僕がオタルズにハマったのは2024年の7月頃で、その頃には初めてのライブの開催が決まっており、チケットは売り切れていた。当日は旅行に行く予定があり、どう足掻いてもライブに参加することはできなかった。この時点でライブに行こうと思うほどハマっていたかと言われると少し怪しい。なんてたって関東は遠い。他の用事と近ければもしかしたら足を延ばすかもしれない、程度だったはずだ。とは言ったものの、普段イラストアバターで活動しているバンドのライブということで、やっぱり気になってしまいチラチラとSNSを覗いてしまっていた。8月4日の夜を迎えると、Xのおすすめ欄にはライブの感想が複数流れてきた。何を歌ったとか、二人が実在したとか、MCが無かったこととか、アンコールで一言だけ喋ってくれたとか。決して数は多くなかったけど、旅先の宿でそれらを見ていた僕は次回こそは!と決意した。めちゃくちゃ気持ちいいぞ、と誰かが言っていたから、自分もやろうと決めたのだ。*1
 とはいえ、次のライブがあるかなんて分からない。これっきりだと言われてもおかしくはない。ひょっとすると自分は唯一無二のチャンスを逃したのかもしれない。もっと早くに巡り合っていれば、という悔しさを抱えながら聴き漁っていた最中に二度目のライブ開催が決まり、この後ろ暗い気持ちとは案外早くおさらばできた。 

 こうして迎えた2月28日の2nd Live『The Dizzy Heart』。 僕にとっては初めて生で見るオタルズ、しかもこのサイズのハコでライブを見るのは初めての経験だったので圧倒されっぱなしで、ディティールの感想が「気持ちよかった」「FAXxxxxxと目が合った」だったのがあまりも情けない。ノンストップで曲が続くので、全然演奏の光景を思い出せない曲も幾つかあった。それが悔しくて、それから数か月間ずっとFAXxxxxxxがライブで見せたピースと、両手を広げるポーズを真似してた。*2
 サブスクやYouTubeで聴いてきた曲たちとライブで演奏される曲たちの同一性は、タイトルというラベリングの上にしか存在しない。確かにそれらは同じメロディーで、同じ言葉で形成されているが、音源の中で意図された作為をライブという一過性の場で完璧に再現することは難しい。ライブという特殊空間で演奏される楽曲には、恐らく作り手たちにも操り切れないポテンシャルを秘めていること、それがとりも直さずこの日まで気が遠くなる回数聴いてきた音にも存在しうることをほぼ力づくで思い出させられた。それは反響する轟音で輪郭が曖昧になるライブハウスという環境が、ともすれば他のジャンルよりも多分に作用するシューゲイザーサウンドゆえのものなのかもしれないと思った。こんな当たり前のことを今更思い知っているようでは自分で納得のいくライブレポートなんて書けやしない、と 打ちひしがれていた。
 ところで、僕は『備忘録音』というポットキャストをしており、どうせそこで感想会をやるのだからわざわざブログに書き残さなくてもよいだろうという思いが当時はあった。そのことについて共にラジオをしている友人に話したところ、「書き残すことにも意味がある」と言われた。実際に「書き残す」ことを実践している人に言われたこの言葉は重みがあり、今回このレポを書こうと思い至ったとき真っ先に浮かんだのはこのやり取りだった

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(2月のライブの感想を話してる回)

 自分自身ライブレポを読むのが好きだし、できる限り長い間、あの夜の光景を脳内で思い描けるよう記憶しておきたいをという思いから、ここに書き残しておくことにする。忘れないなんてきっと無理だろうけど、ささやかな抵抗として。

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ライブハウスに行くっ!

 前回よりもはるかにキャパの広くなったライブハウス。物販の時間に行くと、既に外まで列ができている。ひょっとして大人気バンドなのでは?  幸いなことに、整理番号20番台と運にも恵まれ*3、Marinaの目の前二列目辺りに陣取ることに成功。前回のライブはFAXxxxxxの前、大体6~7列目くらいの場所だったので、あまりMarinaが見えなかった。その分FAXxxxxxのファンサを存分に浴びたので大満足だったけど、人はどんどん欲張りになってしまう。

何らかの法に抵触する近さではないか。

 入場してから開演までは緊張で終始顔が強張っていた。というか表情筋が変な動きをしていた。同行者、怖がらせてごめんね。

 

演奏が始まるっ!

 めちゃくちゃテンションの上がる入場曲でサポートメンバー、FAXxxxxxとMarinaがステージに現れる。割れんばかりの歓声だ。入場曲、ライブが終わった後もずっと耳に残っていて、この曲は何なんだ!とXにポストしたら博学なフォロワーに教えていただいた。

Rag and Bone

Rag and Bone

  • ザ・ホワイト・ストライプス
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

 これらしい!!!すごい、聴くと一瞬でライブの気持ちになれる。早速セトリプレイリストの先頭に突っ込んだ。調べてみるとこのホワイトストライプスというバンドは男女二人組で、姉弟を称して活動していたらしい。なるほど、それも選出の理由の一つかと納得した。

  1曲目は新アルバムの先行シングルとして配信された「アンチソーダにいわせれば」。 『All Imperfect Summerland』と銘打たれたステージのOPを飾る曲はこれしかないという思いはファンもオタルズも一緒だったに違いない。曲の入りでちょっとズレてたことすら愛おしい。それにしてもライブはすごい、なんてったって音が全然違う!!!

 突然ですが、ソーダ水は夏の季語です。 *4

(ななめのさんはいつも夏山暑太郎先生の言葉を伝えてくれる)

  氷が溶けて味気が薄くなり、次第に炭酸も抜けていく。ソーダとは刹那的な飲み物であり、その刹那性において夏を表象している。では、"アンチソーダ"とはそうした刹那に過ぎていく時間への抵抗だと読み取れよう。歌詞の中で「そういうことにしとこうぜ」と合言葉のように交わす二人は、いずれ来る未来の存在を確かにかみしめながらも、今この瞬間に自らの時間を緩やかに固定しようとする。それは、ライブに望む我々の態度とどこか重なってはいないだろうか。轟音の演奏を浴びながらそんなことを考えていたら一曲目が終わってしまっていた。一瞬だった……。いやこれめちゃくちゃいい曲だな……。
 2月のライブは記憶にない曲がいくつかあると言ったが、特に冒頭数曲は様々な衝撃が駆け巡り、ほとんど覚えていなかった。あと今回のライブ、背景にMVが流れる贅沢仕様。どこに目を向けていいか分からない。だからと言って前回と同じ轍を踏むわけにはいかない、と意識を切り替えライブに集中する。

   2曲目はシナリオライターを撃たないで」。7月29日に出たライブと同じ名を冠するアルバム『All Imperfect Summerland』にて、過去のシングルやEPに収録された曲が「Summerland.ver」として再録された。正直、再録版もオリジナル版もどっちも大好き!となってしまうのだけれど、「シナリオライターを撃たないで」は飛びぬけて再録版がすごかった。演奏も歌声も、一本軸が通りより安定感が増した印象を受け、そのうえで音一つひとつの輪郭が明瞭になり、弾けるような明るさを携えて聴こえてくる。そしてライブになるとなによりも、サビのシャウトがとにかく気持ちいい!この快楽でチケット代4,000円の元は取れました。こんなに安い値段で本当に良かったんですか?
 終盤、「歌えますか皆さん」とニヤけ顔で語りかけるFAXxxxxxxに熱狂で答える観客。すごい、二曲目から歌わせてくれるんだ、ありがとうございます。ライブに来られなかった、オタルズの楽曲で時たま漂う杉並の気配に敏感な先輩に思いを馳せながら身体を揺らし「Check out1.2…」を歌う。そのままのテンションで三曲目へ、止まらない!

 3曲目「ドラゴンなんだって」。この曲もすっかりライブアンセムという風格。オタルズを知ってから初めて新曲として迎えた曲なので結構思い入れがある。このあたりでようやくステージをちょっと俯瞰で見れるようになってきた。映像を映しているというのも要因の一つかと思いますが、前回よりもステージが格段に明るい!二人がよく見える!!FAXxxxxxは長めのウルフカットでオーバーサイズの青いシャツの上からさらにダボダボなジャケットを羽織り、首からは十字架のネックレス、ひまわり柄のワイドストレートパンツ(これどこで買えるんですか?欲しい、有識者教えてください)に靴はお馴染みのマーチンという衣装。カッコよすぎ。Marinaは……なんて表現すればいいんだろう。黒とグレーのツートンカラーのテクノポップアイドル(?)が着ていそうな近未来風の衣装で、こちらもマーチンだったはず。髪型はお団子ツインに三つ編みという装い。間近で見たMarinaは、あり得ないくらい可愛かった。
 3曲が終わりSEが流れ始めようやく一息、とさせてくれない。すぐに次のセットが始まる。ところでライブのSEは配信されないのだろうか……。ないですか……。

 4曲目「Moon Landing!」。ゆったりした曲なのもあって、無意識に歌声に集中していく。このあたりで、「Marina、前回よりはるかに歌が上手くなってないか!?!?」と気づく。ライブを通して、曲やパートによって色んなピッチを行き来していたけど、全然外れなくてすごいし、「Moon Landing!」は特にそれが鑑賞体験に与える印象が大きかった気がしています。めちゃくちゃ圧倒された。個人的にライブで一番化けたと感じたのがこの曲だった。

 このイラストを背景にのびやかに演奏する二人の姿にもかなりグッと来た。

 5曲目「アステロイド・フォーク」。「アステロイド・フォーク」!?!?思わず叫びそうになり危なかった。『Destroy My Memory』の曲ってバンドサウンド以外の比重が大きくて、ライブではあんまりやんないのかなって素人目に思ってたんですが、余計なお世話だぜと言わんばかりのパフォーマンスを見せつけられた。完全に頭の中に無かった選曲だけに、嬉しさも段違いだった。聴けて良かった……。

 以前このポストを見かけて漫画を読んだ。とても良かった。ライブレポを書きながら読み返し、それでもやっぱり泣きそうになってしまった。結構不思議な感覚なのだ。一つのささやかな願いがめちゃくちゃな時間スケールをも貫徹し成就する、その様はまさしくコメディだし、心地の良い滑稽さがある。しかし、再会した二人が感じた「うれしさ」が、人生ゲームの盤面を辿って、それまでの時間を埋めるように加速してその滑稽さを追い抜く瞬間がある。そして人生ゲームのゴールにたどり着いたとき、二人の感じた「うれしさ」が再度訪れた別れに耐えうるものだと示される。そこに不思議な感傷があった。
 曲単位でこんなはっきりとした影響元があるなら、インタビューで語ってた好きな小説家や漫画家も氷山の一角なんだなという気持ちになった。The Otals伝奇研究センターのセンター長としては、更なる言及を期待したい。

 話が逸れました、6曲目「ウェンズデーにおまかせ!」。ライブで聴いたら多分泣いちゃうんだろうなと思ってたんですが、案の定だったね……。しかもMVまでついてくるし。
 もういつまでもセカイ系とかゼロ年代みたいな言葉で音楽なり小説なりを測るの良くないよと思うけど、でも確かにこの曲はセカイ系の形をしているのだ。そしてその形に否応なく惹きつけられる自分がいることも悔しいけれど事実である。けれども、この曲の良さってむしろそこからはみ出している部分にあると思う。それはやりすぎなくらいキャッチーでビビットなメロディもだし、MVやリリックでも一度もセカイかキミかという選択を迫っていないところに見て取れるような気がしている。

飛び出した夜空まで
眼下の明かりも思い出も
やっぱり守ってみたい
夏休みも君だって

 夏休みと並列して置かれる守ってみたい君は、どう考えたってセカイの側だろう。いくつも動機がある中で、しかしウェンズデーが望んだはたった一人の男の子の言葉だという愛おしさが、彼女のプロフィールを更新した短くも雄弁な言葉が、可愛くてはハイなメロディに乗せられ我々を貫くのではないか。それはセカイ系的な感傷とはまた違う到達点であるように思う……。こんなことは別にどうだってよい、ライブ中は全く考えていなかった。とにかく、この曲の魅力はライブでも健在だったのだ。
 感無量だったことにはもう一つ理由がある。1stライブの感想ポストにて、「黒猫になっては」のところでMarinaが猫のポーズをしていたというものがあった。このポストを見たとき自分はものすごい顔をしていた*5。今回、うわさに聞いていたそのしぐさを拝めて本当にうれしかったのだ。
 SEが流れ、2セット目が終了。てかこのSEのタイトル、「夏になったらきっと」ってずるくないか?基本的にSE後ろの曲に掛かっていて長めのイントロみたいな感覚で聴いてますが、タイトルが付くと、何というか、途端に情報量が増す気がする。ニクいぜ……。やっぱり何らかの形で配信して欲しいよ。

「ウェンズデーにおまかせ!」で既に泣いてしまっているのに、7曲目が新アルバムで最も好きな曲である「シュシュをあげるよ」だったために大変な事態になった。
 この曲は本当にすごい。オタルズは歌詞の中の視点の切り替えで楽曲のストーリーを紡いでいくという手法をよく使う。そこで生まれる対称性やその破れが、男女のコーラスワークを通すことでより印象付けられる。オタルズのこのやり方が僕は堪らなく好きだ。「シュシュをあげるよ」もこの方法で歌詞が綴られていく。

風鈴きらりと鳴って

前髪ふわっと動いた

喫茶店のベルが聞こえる

真剣な顔で驚いた

風鈴きらりと鳴って

長くした前髪が揺れて

子供ぽかった

レモンのシャーベットを

大事に掬うように

引っ搔いた左手の理由

せっかく話してくれたのに

レモンのシャーベットを

すっかり溶け切ってしまって

なんでこうなんだろ、いつも…

「風鈴きらりとなって」「レモンのシャーベットを」と、同句を頭に置いて同じ瞬間を二者の視点からパラレルに見ているという対称性のあるシーンを演出している。しかし片方には『死んでしまいたいよ』とこぼしそうになる内心があり、パラレルな視点の片方には鏡写しに捉えさせまいとする欠落が存在する。つまり、一見対称的に見えるが、片方は穴が開いたように語られるべき内面が抜け落ちてしまっている。この欠落を補完しているのは、片方からの語り掛けだけで構成されたという、ともすれば対称性を壊しかねない形式のラスサビなのだ。

「死んでしまいたいって思った日
もう朝が来ないよう準備して
でも、気づいたら目覚ましかけてて
『わたしちょっと偉いなあ』って思って笑ったの

ね、大丈夫だよ
難しいこと馬鹿だからわからないけど
きみが笑うと嬉しいの
あー…
いつもありがとう
また遊ぼうね
わたし口下手でごめんね」

なんで泣いてるんだろう
わああん

『死んでしまいたい』と考える個人の不可侵に思える領域に、届けるべき言葉とはどこかズレていて稚拙さすらある言葉が届く。この言葉を歌い上げるMarinaの歌声の美しさといじらしさも、あふれ出る言葉だという切実さを十二分に伝えている。その眩しさったらないのだ。
 話を演奏に戻そう。もちろん、演奏は完璧だ!二人の歌声は絶好調。FAXxxxxxのギターも跳ね回り、Marinaの歌声は泣かせに来る。とにかくグズグズになってしまったけど、この曲は終始楽しかった。それは今回のライブを通してFAXxxxxxがずっと笑顔というかすごく柔らかな表情で歌っていて、その柔らかさが楽曲の中で色んな感情を拾い上げているように感じられて、自分もそれに引っ張り上げてもらったからの感慨のような気がしている。

 8曲目は「ストロベリーショートケイクス」。「ストロベリーショートケイクス」!?!?いや、こういう反応になりませんか?決してマイナー曲だなんて言うつもりはない。言うつもりはないが、じゃあ『Farewell, Our Cabbagefields』の収録曲から一曲ライブでやる曲選んでくださいって言ってこの曲出てきたら相当びっくりしませんか?
 ここまで書いて、そういや前回ライブで「タイニーとスケアクロウ」聴いた時も同じこと考えてたな……と気づいた。驚くほど何も成長していない。オタルズさん、すみませんでした、天邪鬼最高です。
「ウェンズデーにおまかせ!」「シュシュをあげるよ」で感情を揺さぶられた後の、ローテンポなFAXxxxxxのソロ曲めちゃくちゃ沁みる。ライブのFAXxxxxx、音源よりも声が高い印象を受けたけど気のせいだろうか。あまりこういう感覚には自信がないのでめったなことは言えないけど、この歌声もすごく好きだった。いい曲だな……。

 9曲目「こっち向いてひまわり」。これも好きやねんな……。Oasisみたいなギターイントロで始まるスローテンポの曲、ただただ美しかったね......。何度聴いても、「私きっと立派な 人なんかじゃないのに 好きになってくれて ありがとう」の胸を突く感触が衰えないし、生で聴くと何倍もの威力だった。会場を多幸感とノスタルジーが包み込み10曲目へ。

 10曲目はコラボ曲「ロリータ田舎に生まれ」。てことは全パートMarinaか!!とにわかにテンションが上がる。歌の入りはものすごくしっとりとした雰囲気で囁くように。最後のほうに向かっていくにつれ演奏も歌声も感情が溢れるように高揚していく。ラスサビの「どうして」の緊張感が凄まじい。でも最後を締めくくるのは、温かな感情だった。

 SEを挟み、11曲目の「イヴとアリス」へ。「イヴとアリス」!?!?!?前回前々回と、セトリにphysical版限定曲が2曲入っていたので、それ自体は定番になっているが、これはかなり予想外。あまりライブ向きって感じの曲じゃないと思っていたから……。「イヴ」と「アリス」が、誰もが知っている"あの"イメージであるならば、到底あり得ない組み合わせだと言える。組み合わさることない二人のメルヘンな内的世界と現実の綱引きの合間に、さり気なく後悔と別れを忍ばせるリリックや、間奏の千切れるような不協和音がこの曲の妖しさを際立たせている。そして「ずっと友達のままでいられますように」という願いの切実さが胸を打つ。ライブでも音の厚みがすごかった。

 12曲目は「チートコードは給水塔」。え、あの数字のパートを暗唱できるの!?と一瞬思ったの、あまりにもアーティストをナメていて良くない。ギターのクリーントーンでのアルペジオに色んな音が載って駆け出していく原曲のイントロとは少し違い、最初から盛り盛りのサウンドで始まる。こんなにドラムの存在感がある曲だったのかと驚いた。ブルージーという印象が正しいか分からないが、普段とは違った一面が垣間見えとても楽しい。

 13曲目「SNS:あるいは東京の歌ばっかりだ」。オタルズが小樽のことを歌っているの、素朴なうれしさがある。小樽に行ったことはないので何様だと言われたら返す言葉もないが。坂ばかりなんだね……。アイドルグループへの提供曲ということで、サウンドは結構新鮮、でもやっぱり骨子はロックだねと強く感じる曲だ。大好き。ちょっと語尾を伸ばすような歌唱に、矢継ぎ早に切り替わる男女のコーラスワークが心地よい。Marinaパートの可愛さも白眉。めっちゃファンサしてくれるね……ありがとうね……。そんなことを思っていたら、今回のライブ最大の出来事が。曲終盤、「君の町のことを 私が歌うよ」のところでMarinaに指をさされた。なんと、オタルズが京滋のことを歌ってくれるのか。今回ばかりは幻覚ではない。こう言うと前回FAXxxxxxと何度も目が合ったことは幻覚だったのかと言われるかもしれないが、確かに指をさされたのだ。最前列ってすごい。衝撃的過ぎて、かなりの間呆然としてしまった。回復したころにはもう14曲目が始まっていた。

「きみはテレプシコーラ」も相当好きな曲だったけど、ファンサを真正面から受けた衝撃でイントロの部分の記憶が一切無い。幸い、Marinaの優しい歌声のおかげで、落ち着くまでにはそんなに時間を要さなかった。エイプリルフールの1日限定で公開されたこの曲。なんでこんな名曲が1日限定なんだと頭を抱えていた4月1日もずいぶん遠くなった。もし、今後ライブで聴く機会があるのならば、絶対に最後の部分を歌いたいと思っていたから、最後観客に歌わせてくれて本当にうれしかった。夢を叶えてくれてありがとう。テ~レプシコ~レ~!

 ここでMCのターンに。前回は喋りすぎたと笑顔で語るFAXxxxxx、そんなことないよ!もっと喋って!そう、我々はFAXxxxxxが喋ることに圧倒的に「賛」側なのだが、どうやらMarinaは「否」だったらしい。でも今回は話さないといけないことがあると言ってFAXxxxxxが続けたのは、The Otals結成当時の夢について。それは、今我々がいるこのライブハウス「渋谷WWW」をSOLDさせることだったと言う。この言葉に客席から割れんばかりの歓声と拍手が送られる。「皆さんに夢を叶えてもらった」「皆さんが必要としてくれる限りはオタルズでいたい」なんて、涙を誘う言葉を連発する。
 思えば今日はずっとFAXxxxxxの表情も声も柔らかだ。キザなのは変わらないけど、前回のツンとした感じとはずいぶん印象が違う。そんな姿を見るとこっちもエモーショナルな気持ちになってしまう。「あと何回みんなの前でオタルズと名乗れるのか」とも。もちろんすべてのバンド活動が奇跡であることは理解しているが、インディーズとなるとその存在の不確かさはけた違いなのだろうと想像する。語る表情に深刻さはないけれど、当然そこには彼らなりのリアリティがあっての言葉だろう。それを理解することも寄り添うことも、インディーズという現場を知らない、音楽活動をしたことのない僕には恐らく不可能なのだろうという実感してしまった。これはまあ、結構つらいことだ。ただ、それならばできる範囲の事を真っ当にやっていきたい。それは曲を聴いたり、MVを見たり、そのことを誰かに話したりする、好きな物に対してのごく当たり前の営みだ。ライブレポを書き残すことの意義も、そこに見出そうと思ったのだ。
 感傷的な気持ちになっていると、タイミングを見計らうかのように、大阪公演が発表され、再び場内が湧く。大阪!「皆さんが来いって言ったから行くんだよ?」「来てくれるよね?」と執拗に(楽しそうに)問いかけてくる。
 あと、今回はMarinaが喋ってくれたの地味にうれしかった。一言、「来てねー!」だけだったけど。もちろん行くよ!!!曲を聴いたり、MVを見たり、そのことを誰かに話したり。できる事を真っ当にやっていたら、いつの間にかライブの日になっているはずだ。
 FAXxxxxxは「オレたちの夢を叶えてくれてありがとう」と微笑んでMCを締めた。こちらこそ、ありがとう。

 MC明け、「3曲やって終わり」といって始まったのは名曲「波ちゃんとバク」。何度も聴いたギターリフの音でラスト3曲が幕を開ける。このイントロが聞こえた瞬間の盛り上がりがすべてだと思う。これを絶対にライブで聴きたかったんだ……。音に感情がすごくのっているのが伝わってくる。それを全身で浴びられる贅沢を噛みしめる。ラスト3曲は、それぞれの歌が何を歌ってたのか段々と溶けて分からなくなってしまっていた。だってステージ見たらFAXxxxxxも踊りながらギター弾いてるんだもん。そして「波ちゃんとバク」と言ったら間奏のギターだろう。サポートメンバーの方のプレイがカッコよすぎた。ハイポジションを引く時の姿勢と表情が堪らない。みんな楽しそうに演奏していて本当に良かった。それでラスサビ、二人とも感情むき出しで歌う中、「でも あなたの笑顔には敵わない」の一瞬だけ、歪みのない、ともすればアンプすら通っていないようなプリミティブなギターとMarinaの歌声だけになる。この緊張と解放の瞬間が何よりも気持ちいい!

(ライブ後、オタルズに2か月前のツイートをいいねされびっくりした。号泣したよ)

 

 間髪入れず16曲目「マイ・ロリポップ・ナイトメア」!やりたい放題のセトリである。一心不乱に身体を揺らしてたのであまり記憶にない。韻を踏んでから、「ガラクタの山で笑う~」で一段階ピッチが上がるところとか、サビ前の電子音とかとにかく気持ちいいポイントが多すぎるのだ。で、間奏のギターソロがこれまた最高。エモーショナルな歪みが全身を襲う、まだこんなパワーを秘めてたのかと一気に心をもっていかれた。アウトロもこれが最後の曲と言わんばかりの盛り上がりで締めくくられる。まだ終わりじゃないよ。

 最後の曲はオタルズの魅力が凝縮された名曲「ティーンエイジはきみのもの」。ここで!!!凄まじい畳み掛けに笑顔で立ち尽くしてしまう。
 僕にとってこの曲の持つ意味はとても大きい。本当に大きく感情を揺さぶって、抉り出すような力がある。地方で生まれ育った僕にとって、この曲の風景を構成するアイテム—セブンティーンアイス、パチンコ屋、国道沿いの都市計画—はその画一性において閉塞感の象徴なのだ。しかし、オタルズはこのランドスケープをちょっとした仕掛けとレトリック、そして力強くて優しい音色でガラリと変えてしまう。歌詞の最後のフレーズ、そこにたどり着いた瞬間に世界がリアルタイムで塗り替えられていく魔法に魅入ってしまった。何よりも、僕が閉塞感しか見出せなかった風景に色彩を見ていたオタルズのまなざしにいたく感動したのだ。そんなことを思い出しながら、この曲に浸りきっていた。
 ステージに充満する熱は最高潮に達し、サビなんか心なしかいつもより明るく聴こえてくる。間奏に入り、印象的なギターリフを終えると、掛け声のパートがやってくる。「これが最後の曲です!」と言って観客を煽るMarina。お馴染みの「1,2,3,4!」を叫んだあと、転調と共にラスサビへ。これが気持ち良すぎる。渾身の「ね!」にノックアウトされ、ライブは終了。歌が終わり、大歓声に迎えられた二人が舞台袖へはけていく。
退場の際、多種多様なピースサインをくれるFAXxxxxxの横で、ステージから身を乗り出して手を振ってくれるMarinaと、最後までらしさ全開の二人だった。ありがと~~~~二人ともカッコよかった!!!

 二人を見送った拍手が、すぐさまアンコールのものとなる。いつもなら意気揚々と手を叩くのだが、ちょっと、今回は、疲れた。ので控えめに行こうと決めた瞬間、となりの同行者に水を手渡される。ありがとう、水ってこんなにおいしかったっけ……。そうこうしているとバンドメンバーと二人が再度登場。ちょっとした機材トラブルがあったらしく、この時だけゆったりとした時間が流れていた。FAXxxxxxがギターのチューニングをする光景ずっと見ていたい。

(WOW) 

 アンコール最初の曲は「オフィーリアにもう一度」。この曲やるならここしかないというタイミングだ。Marinaの透き通る歌声で曲が始まる。17曲をあれだけのエネルギーで歌ってくれたのに、最後まで一切ブレることがない。特異な没入感を生むオタルズの楽曲の中で、「オフィーリアにもう一度」は俯瞰的で、柔らかな視線を感じさせる。それだけに、あらゆるエネルギーを使い切った今、しみじみと響いてくる感慨があった。この心地よさにずっと浸っていたくなる。

 場内に漂う名残惜しさを振り切るように最後の曲「そしてチャイナブルー」へ。オタルズの代表曲と聞かれたら、この曲を答える人が多いのではないか。過ぎ去っていく時間と忘却を、過度に脚色せずアップテンポなメロディーで爽やかに歌いあげる。ちょっとニヒルな手触りと照れ隠しが同居する、なんて瑞々しい曲なのだろう。この曲は特に、音源で何百回と聴いてきたのに、初めて聞いた時のような感動が襲ってきた。名曲が過ぎる。
「『ねえ 忘れないでね』なんて きっと無理だろう」と歌うFAXxxxxxの穏やかな笑顔が、MCで話していたことと相まってずっと脳裏から離れない。ウォー、書きながら色々フラッシュバックしてくる......!曲の終盤、Marinaが観客にマイクを向けてくれる。いつも口ずさんでいるパートを大声で歌えるのだ!と、両手を上げて応える。ラスサビで会場は今日一番の盛り上がりを見せる。もちろん僕も、両手そのままに、正真正銘最後の曲を噛みしめた。
 アウトロでは感情的にギターをかき鳴らすFAXxxxxxと、同じく身体を揺らすMarinaがわちゃわちゃと動き回り大変楽しい絵面に。FAXxxxxxギターを高々と振り上げ、会場には壊すのか!!!とにわかに緊張が走る……も、振り下ろしはせず肩に乗せて神輿を担ぐみたいに歩き回る。終始笑顔だった。

 

終演

 二人は再び拍手喝采に見送られ退場。その直前にFAXxxxxxがピックをばら撒いた。手を伸ばしてもこぶし三つ分くらい離れた場所だったので掴むことはできなかった。しかし、偶然そのうちの一つが足元に転がってきた。咄嗟に拾ったはいいものの全然現実感がない。これはオレのものってことでいいんスカ?眺めると両面サイドが削れていて、実際に演奏で使っていたものだと分かる。まさかの出来事にかなり頭が混乱していて、会場が明るくなったことに気づくのに時間がかかった。

(FENDER Premium Celluloid 351 Shape Pick Medium Ocean Turquoiseね、了解)

 ライブは終わりました。ホントに終わった?疲労と余韻でうまく思考できない。結局終演後15分くらい会場に居座っていた。同じような人は他にもいて、ぼーっとしていたら10人くらいの集団に写真撮影をお願いされた。恐らくオタルズが楽曲提供をしているアイドルグループ「水槽とクレマチス」のファンの方たちだったと思う。すごく明るい方たちで、彼らとの会話でようやく現実に帰ってこれた。ありがとうございました。
 その後は機材の写真を撮ったり、物販でポスターを買ったりして、外へ出たのは終演から三十分くらいたってからだった。待っていてくれた同行者たちに夢うつつの状態で近づくと、一人が一心不乱に絵を描いていた。絵が描けるのってずるいなと、この時本気で思った。

(とんでもないセットリスト)

 その後はよく分からない店によく分からないまま入り、感想戦へ。感極まっている二人(僕と一心不乱に絵を描いていた人)を他三人が宥めるという地獄のような現場だった。付き合ってくれた人、本当にありがとうございました。
 僕は誇張抜きに、8月16日がこの一年で最も楽しみな日だった。その確信は間違っていなかった。一年どころか、今までの人生で最も楽しかった日と言っても過言ではない。何の躊躇いもなく最上級を使える。本当に楽しかった。
 思えば、これまで好きになったアーティストはいつも若干世代が上だったり解散してから知ったりと、リアルタイムで追いかけているという感覚は薄かった。なので、今このようにオタルズを追いかけていけることがこの上なくうれしい。願わくば、彼らの冒険が長く続きますように。最高のライブをありがとう!!!

 

 大阪公演は一日も経たずに売り切れたらしい。すご。(じゃあ、いつかもう一度大阪に来ないといけませんね)

 

エンディングテーマ

youtu.be

 

追記

これは宿に向かう途中で見つけた千歳。そんなに遠くもないらしい。
 

*1:めちゃくちゃ気持ちいいぞ、と誰かが言っていた。 だから、自分もやろうと決めた。」 秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』

*2:「ファックスのこのポーズ好きすぎて毎日真似して遊んでる」 「きも」

*3:虚無㊙情報→ライブチケットを取るときだけ5G回線を解禁している。

*4:ななめのさんのソーダ曲プレイリストは必聴です。オタルズの曲も入ってるよ。

Soda Pop Funclub Funclub - playlist by nanamenon | Spotify

*5:「マリオ ドッスン」で検索してもらうとよろしいかと思われます。

借りた本の感想を書く(前編)

 人から紙袋いっぱいの本を借りた。10月、はち切れそうになった紙袋を手に、ウキウキで帰ったのを思い出す。普段なら感想は喋るか、140字にまとめるかだが、せっかく貸していただいたのだからちゃんと感想を記そうと思った。二割くらいは貸してくれた人への私信になっているかもしれない。

 

 

杉井光神曲プロデューサー』

 思い返すと、僕は別に杉井光の良い読者ではないな、と気づいた。『楽園ノイズ』で初めて名前を知って、二年後に『さよならピアノソナタ』をようやく読んだ。どちらも素晴らしい作品だったけれど、以降彼の作品を読んだことはなかった。そんな状態の人間からすると、杉井光は明確に、音楽の人という印象がこびりついている。
 この作品も類に漏れず……なのだか、待っていたのは音楽の話と同量の、うんざりするくらいの現実だった。そんな現実を前に、音楽に救いを求めるのではなく、武器として手に取り、世界と取っ組み合う決意だったように思う。生きているなら役目を果たせと背中を叩かれる「両極端クオドリベット」はとりわけ印象的だった。音楽が鳴り止まないのは、その意思を持った誰かの作為があるから、音が響くのは周囲を取り巻く物や人がいるから。音の広がりはシュンの世界の広がりが重ねられている。
 なので、物語の焦点が徐々に海野リカコに向けられていくことは、シュン個人の内部で鳴り続けていた音が他者に向けて解き放たれてくことと対応しているのかもしれない。そして、ごく当たり前な物理現象として、物体に当たった音は跳ね返ってくる。「恋愛論パッサカリア」の身悶えするほど甘くもどかしい二人のやり取りも、音と言葉の応酬であり、その営みの反復性が歌に仮託されている。現実の中、二人は手探りでラブ&ポップを探しているのだ。

LOVE&POP?

見つけたくて彷徨うけれど

それでいい それだけが答えだと思う

Base Ball Bear『LOVE&POP』

 

恩田陸ブラザー・サン シスター・ムーン

 読み始めてすぐ、佐藤多佳子の『サマータイム』のことを思い出した。すごく直感的で理由のない連想だったけれど、読み終わってからこの時感じたことは間違ってなかったと思った。両作品とも、いくつもの線が交わって解けていく様子に圧倒される瞬間がある。『サマータイム』においてその瞬間は「交わり」だったのに対し、『ブラザー・サン シスター・ムーン』は「解け」だったような感じがした。 あの日三人で共有した心象風景は、それぞれが全く別の出来事をトリガーとして思い出したように、個別の体験だった。三人がそれに気づくことについて寂しさはなく、むしろ自らの人生観の中で個別の体験として切り離していくことが、未来という時間の広がりを強く祝福していたように思う。

 恩田陸作品はこれで四作目になるけれど、『spring』のように個人を俯瞰的に眺めるような視点で書かれる文章がめちゃくちゃ心地いい。作中で彼ら自身が「あの頃」に対して感傷を持ちえていないからなのもあるだろうけど、筆致にそれが入り込む余地がないというのは、すごい。テーマ的にも自分に刺さるものが多い物語だったが、とにかく、飛びっきり楽しく読めた。 この人のカメラの置き方はすごくしっくりくるな、という印象が確固たるものになった気がする。

 

 年末に向けて読書会が盛りだくさんなので、残りは年明けくらいにゆっくり読もうと思います。貸してくれてありがとう。

魔法使いの夜×Fate/Grand Orderコラボレーションイベント「魔法使いの夜アフターナイト/隈乃温泉殺人事件 ~駒鳥は見た! 魔法使いは二度死ぬ~」(多分)最速レビュー&感想

 

 

はじめに

 

 信じてもらえないかもしれないけれども、『Fate/Grand Order』と『魔法使いの夜』コラボが発表されたとき、私は何も心配していなかった。それは、奈須きのこTYPE-MOONに向けられた信頼というよりも、私自身の心持だった。改変や、クロスオーバー、メディアミックス、あるいはボイスが付くことに対して「思い出を汚された」「世界観に傷をつけられた」という怒りの感情は、様々なコンテンツでよく目にする。厳密な意味で個々の作品体験はそれぞれ異なるから、彼らのその感情を否定する気はない。私は私で、せっかくならば「出来ることをやって」からそういう感情と相対したいと思っている。ではここで言うできる事とは何なのか、それは差し出された物語を隅から隅まで読むことなのではないか。少なくとも私はそう考えている。例えば、『型月伝奇研究センター』はそうした考えのもとに結成されたサークルだ。そしてそこで書いたいくつかの文章、特に『Binder.第二号 特集=魔法使いの夜』に載せた文章は作品を自らの中に位置付けるためのものだった。この作業を経たからこそ、私は凪の心でまほよコラボを迎えられた。

 個人的な話が長くなってしまったが、何を言いたいかというとつまり、どんなシナリオが出されていたとしても、今こうしているように感想を綴り、心から褒めたたえていたに違いないということだ。それでも、やはり、今回のコラボシナリオが一切のうしろめたさ無しに「最高だ!」と言える物語だったことが堪らなくうれしい。それは『魔法使いの夜』を愛する多くの人がそうだったのではないか。

 

 

アフターストーリーとして

 心配はしていなかったと言ったものの、最初どういうテンションで読めばいいかは全く分からなかった。何せ「アフターナイト」、つまりアフターストーリーだ。完結していない物語のアフターストーリーって何だろう。次に見えたのは「殺人事件」という言葉だ。アフターストーリーで殺人事件って何だろう。そんな疑問から目を背けるように周辺情報を漁った。奈須きのこの本棚にあったミステリと照らし合わせてみると、旅館だから京極夏彦の『鉄鼠の檻』かな、いや温泉なら『塗仏の宴』のあれかもしれない。ひょっとしたら殊能将之の『美濃牛』みたいなテイストになるのかな。……白状しよう、発表時点で私はかなり心配していた。

 しかし、実際読んでみると見事なまでにアフターストーリーだったのだ。アフターストーリーの強みというか、効力の大きな部分は本編と双方向にストーリーとキャラクターを補強して、読者の記憶にある思い出を刺激し、懐かしさという残響で満たすことができる点だろう。思い出してみる、あるいは『魔法使いの夜』を起動し参照する。星、渡り鳥、都市、文明、約束、自己存在、矜持、責任、義務、世界が回るということ。蒼崎青子、静希草十郎、久遠寺有珠、我々が『魔法使いの夜』を読み結い上げた彼らの人物像。我々はそのパーツを必死に探したはずだ。そして恐らく、拾い上げられたいくつかの要素の中で『魔法使いの夜』本編で提示されたものと全く同じ形をしていたものは一つもなかっただろう。

10年間何の動きもなかったコンテンツに、初めて投じられた石であるこのシナリオでこんな攻めたこと言っていいんだ。

  思い出というぬるま湯に浸り続けることを強く糾弾するようなこの言葉が誰に向けられたものかは明白だ。青子らとて変わるのだから、我々も変わらなければならない。ありきたりなメッセージだが、その陳腐さを冷笑する隙も与えないほどの強引さが、続編をすっ飛ばしてアフターストーリーを書いたこのイベントにはある。それでもやはりめちゃくちゃだと感じる部分はあるけれど。

 とはいえ’’存在しない続編’’の空白部分を、残響を生み出すための弦の振れ幅に使った起点と思い切りの良さは素直に評価できるポイントだ。我々はこの空白部分に思いを馳せ、そこで起きたであろういくつかの出来事を想像する。未知の時間を通過した、見覚えのある人たちの発する言葉は少しばかり響きが変わってくる。

 例えば、久遠寺有珠に未来を語らせるなんてものは分かりやすく感動的な作劇だ。しかし、このやり取りは歴史という過去を踏まえていること、マシュという他者への語り掛けであること、夢という抽象的で希望的観測でしかない概念に仮託された思いがあると有珠が知っていることを端的に表し、ただ単に「有珠が未来の話をしている」以上の響きを持っている。

 また別の例を挙げるとするのであれば、鳶丸の発言が分かりやすい。

魔法使いの夜』本編で誰かが「今が最高!」と言ったところで、それは単なる刹那主義として青子の在り方によって陳腐化していただろう。けれども、「楽しかったあの時」である『魔法使いの夜』の時間を経験し、その黄金時代に自らの手で幕を引いて「今」にいる人が、「今」に拘ることを部分的に肯定することは、刹那主義とは言えないだろう。

 加えて、こうした点に見られるキャラクターのアップデートは恐らく続編だけで行われたものではない。さらにその先を彼らが生きた故に辿り着いた人生観だ。こういう時、私は奈須のとある発言が思い浮かぶのだが、一旦保留にして、次の話に移りたい。

 

星に願いを

 コラボシナリオのテーマを一つ上げるとすれば’’願い’’だろう。思えば、星から真っ先に連想されるのは「願う」「願い」であっても不思議ではない。にもかかわらず、『魔法使いの夜』ではあまり存在感がない。これは単純な話で、「願う」というのは他力を期待することだからだ。他力を期待するということは、ある意味究極の他者性と言えないだろうか。そう、『魔法使いの夜』は蒼崎青子の願いが却下されるところから始まる物語だ。

 『魔法使いの夜』で「願う」「願い」「願った」という言葉が使われていた個所は合計33件、その多くは「お願い」などの、会話の中で他者に投げかけられるものだった。

……人殺しは、いけない事だ。

子供じみた素直さ。その願いが彼にとってどれほど尊いものなのか、憎らしいほど感じ取れる。

その時まで、嫌ってもいいと。

そんな言葉を、少女は今まで、いや、一度だけ、強く願った事があって―――

 そうでない場面だとこの二つくらいではないだろうか。ワード検索ができるわけでもなく、直近で再プレイしたのが半年ほど前なので抜けがあってもご容赦いただきたい。

 有珠の場合は分かりやすく他者の存在が立ち現れているが、草十郎の言葉はどうだろう。「人殺しは、いけない事だ。」という言葉には、やり直せない過去の出来事に対して、現在の在り方によって遡及的に干渉しようとするための規範的な面がある。自らがこうありたいと思うことは「望み」ではないだろうか。にもかかわらず、ここで「願い」という言葉が使われているのは、これが青子という他者に向けられた言葉であり、自己言及的なその言葉を他ならぬ青子が草十郎の「願い」であると受け取ったからだ。「願い」というものはこのような面でも他者と表裏一体なのかもしれない。そして『魔法使いの夜』で願いが表出しないのは、三人の他者性が芽生えるまでの話であるからなのではないだろうか。

 ここで再び、コラボシナリオに戻ろう。有珠は普遍的な事実として「この世にオンリーワンの願いはない」と語る。そして、こちらもまた普遍的な思い込みとして「自分の願いは一番であってほしいと願う」と。

魔法使いの夜』では願いの他者依存的な側面はある種の尊さを孕んでいることが、副産物的に示されたのだと思っている。それを踏まえたうえで、コラボシナリオで願いは誰しもが持っていて貴賤のないものだと肯定的に描く。鳶丸は木乃美に自らの願いを否定する必要は無いと言い、草十郎は「滑稽だ」と笑った、あるいは他者の願いを自らの自己実現のための踏み台にしたキャンディマシンにらしくない怒りを向ける。これは多様な願いの在り方、もっと言えば多様な人間存在の在り方を知った後でないとたどり着けない答えだろう。

  木乃美の願いは叶わなかったが、その行為がもたらした些細な成果を知ることで、彼の生は肯定された。思い出も願いも、現在を生き未来へ進んでいくための糧にするために葬り去る。「星は弾けるものじゃなくて、回るものだし」と言って前に進んでいく。

 ここで夢という、実現可能性の不確かさ故に未来の時間まで解決を保留する概念が彼の背中を押す。木乃美は水嶋まさごから夢を受け取り、これから先を生きていくための核とした。この結末の構図を、久遠寺邸の三人が過去共にあり、これからの人生を自分一人で歩いて行く選択を取ったことパラレルであると捉えるのは牽強付会だろうか。

 

おわりに/人生が続くということ

 項を立てて書いてきたが、結局のところ内容は同じで、つまり作品世界を生きる彼らの人生は続くということである。ここで、先述した奈須のとある発言を引用したい。

その「ストーリーのテーマ」とは別に設定するのが、「キャラクターのテーマ」です。端的に言えば、「キャラクターのテーマ」とは「人生」です。このキャラクターは自分の人生を最後まで生きて、何を得たのか? このキャラクターは何をして、何を打ち立てたのか? そして最期の時、このキャラクターは一体何を言うのか?*1

極論になってしまいますが……たとえば、「俺の人生は『エルデンリング』をクリアするためにあるんだ!」と言っているキャラが『エルデンリング』を遊び終えてしまったら、別にもうそのキャラは出てくる必要はないんですよ(笑)。*2

 これはあくまで、奈須が創作をする際の規範意識だ。恐らく、人の人生はこのように単純な出発点と到達点で構成されていない。不可逆の変化に見舞われるし、一つのテーマを達成したところで、別のテーマが生まれるかもしれない。

 しかし奈須もそのことはある程度認識したうえで、こうした一定の規範を強いているのだろう。でなければ、今回のオールスターシナリオも、アフターストーリーも生まれ得ない。何なら、型月伝奇世界というシェアワールドすら構成しなかったはずだ。奈須は物語が閉じた後もキャラクターの人生が否応なしに続いていくことに自覚的な作家である。なので、今後もまほよコラボのような、我々が生きる世界と同様の時間の連続性の中に生きる彼らとまた会うことができるだろう。そう、草十郎が有珠と、我々が知らない時間で交わしていた約束のように。

*1:【特別座談会】『FGO奈須きのこ ×『Fate/EXTRA新納一哉 ×『FF14』石川夏子 ― “人の心を狂わせる物語”の生み出し方を聞く

*2:【特別座談会】『FGO奈須きのこ ×『Fate/EXTRA新納一哉 ×『FF14』石川夏子 ― “人の心を狂わせる物語”の生み出し方を聞く

2024/4/14 筋トレの成果物、まほよコラボおめでとう

 現在、『型月伝奇研究センター』という同人サークルで『批評理論を学ぶ人のために』(小倉孝誠[編] 世界思想社)の輪読会を行っている。参加者一人一人に担当の章が与えられ、簡単なレジュメと実践が任される。私の担当はメディア論だったのでレジュメと実践を用意していった。私は批評もといメディア論の素人なので、ヴァルター・ベンヤミンやフリードリヒ・キットラーの成果を本を片手にまとめながら、手探りで恐る恐る実践をしてみたのだがせっかくなのでサークルの宣伝も兼ねて投稿しちゃおう!ということで久しぶりの更新になります。

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2023年良かったコンテンツ

 お久しぶりです。虚無です。思えば長らくブログを更新してない! となり、触れたコンテンツも少ないなかで、少ないならブログ書くかと思い立ち、簡単にですがコメントを書いてみました。本当はもっと腰を据えて書くつもりだったのですが気付いたら12月28日……

  下半期は元気を取り戻し、新しいコンテンツにいくつか触れることが出来たので、来年はこの調子でドシドシやっていきたい。

 

四季大雅『バスタブで暮らす』  

 四季大雅作品は『わたしはあなたの涙になりたい』を読んだことがあったが、こちらの印象はあまり良くなかった。私は所謂難病ものに対してはかなり懐疑的というか、あけすけに言うなら苦手な作品群だ。あまり苦手なものの話をしたくないのでここでは濁すが、この作品では「美しい物語を作って欲しい」と病に侵される当事者が語るのだ。当事者にそう言われたら我々読者はどうすることもできない。その点は不満だったものの、それでも時折居住まいを正して読んでしまう迫力のある描写が多かった。

『バスタブで暮らす』はそういったはっとさせられる場面がさらに増えていた。体に居座る漬物石、能面が張り付いて見えてしまう他者の顔、森見登美彦もかくやというくらい癖のある家族たちなど、就職先でズタボロになった主人公の生活模様や世界の見え方が戯画的に描かれる。バスタブの中から世界の様々な場所に手足が伸び、混ぜっ返し、しかし明確に宝を掴んで帰っていく、そんな力強い物語だった。

 

鴨志田一Just Because!

 青春と呼ばれる時間におけるロスタイムのことは大好きですが、まさかロスタイムから始まる物語があるなんて思ってもないじゃないですか。高校三年生の三学期という時間は、どうしても将来の自分について考えることを強制し、全員が何かを急いでいる。その中でも一つここを区切りにしようという意思が偶発的に絡み合ってとてつもない渦を作り出していた。そんな渦に巻き込まれてしまった小宮恵那さんの輝きは凄まじかった、小宮恵那さんになりたい。

 

 

京極夏彦陰摩羅鬼の瑕

 1年か2年ぶりに京極堂シリーズを読んだ、めちゃくちゃ面白かった。『姑獲鳥の夏』の対称となる作品というか、関口巽だけが由良昂允という人間を正しく捉えていた中で、「トリックも何も無い」というシリーズにある程度共通するであろうコンセプトに過去一忠実な構図が深く刺さった。毎回京極堂シリーズではお馴染みのメンバーとは別に、部外者とも当事者とも言えない微妙な立ち位置で事件を眺める配役の人がいるが、彼もシリーズで一番好きかもしれない。

 

西尾維新『戦物語』

 物語シリーズが「○○(任意の作品)以降は蛇足」だとか、「惰性で続いている」みたいな言説は、ある程度は妥当な評価であるように私も思う。『終物語』以降の作品にファンサービス以外の何があるのかといわれると、答えに窮してしまうのも認めよう。でももうそんなことは私にとってはどうでもよくなっていて、年に一回阿良々木君に会えるだけでうれしいのだ。皆さんがご自身の旧友に数か月か、あるいは数年ぶりに再会した場面を想像してみてほしい。思い出話に盛り上がったり、最近あった面白い出来事とか、たわいもない近況を話し合ったり、人生の話でしんみりしたり、それはきっと楽しいはずだ。私にとって『物語シリーズ』の最新刊を読むということはそういう行為に近い。だから正常な評価ができるはずもない。本作の内容はいたってシンプルで、戦場ヶ原ひたぎと結婚した阿良々木暦が怪異関係の依頼がてらに新婚旅行に赴き、彼の陰に住む忍野忍との関係を問い直すという話だ。実際のところ怪異はほぼ出てこないし、何か大きな事件が起きるわけでもない。しかし、最後の景色が抜群に良かった。阿良々木と戦場ヶ原は旅の最後、星を見に行くも天候が悪かった。見えないはずだったのに、いつの間にか二人の頭上には満天の星空が広がっていた。それは何故なのか。私がこの作品を傑作だと感じるのは、これまで『物語シリーズ』を読んできた蓄積によるものだ。だが、その蓄積を的確に刺激するのもまた技巧なのではないだろうか。

 

渡航やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

 

https://https://x.com/kangairureplica/status/1736324831761817927?s=46&t=jvgL0IEYDiL1Eaz5CuaTDQ

『俺ガイル研究会』さんに寄稿させていただきました。今読めて本当に良かったです。