現在、『型月伝奇研究センター』という同人サークルで『批評理論を学ぶ人のために』(小倉孝誠[編] 世界思想社)の輪読会を行っている。参加者一人一人に担当の章が与えられ、簡単なレジュメと実践が任される。私の担当はメディア論だったのでレジュメと実践を用意していった。私は批評もといメディア論の素人なので、ヴァルター・ベンヤミンやフリードリヒ・キットラーの成果を本を片手にまとめながら、手探りで恐る恐る実践をしてみたのだがせっかくなのでサークルの宣伝も兼ねて投稿しちゃおう!ということで久しぶりの更新になります。
『魔法使いの夜』第五章「Night of the witches」における自動人形の呪詛
ミラーハウスで蒼崎橙子が蒼崎青子に差し向けた自動人形は自らを呪い、その呪いを呪い返すことで負の連鎖を回していく。この循環が人形を駆動するエネルギーを生み出す。循環システムを維持している呪いは音声によって出力される。
憎い相手に向けられる呪いを自分自身に向けるという捻じれは、人形が青子を模して造られたものであることで解消され、同時に青子と人形の対象性が浮かび上がってくる。
呪いという‘’声’’が向けられた対象は、まず第一に青子であり、呪いの循環は青子を模すことで副次的に得ている恩恵である。音声によって機能させられる「呪い」はそれ自体が目的であり、循環によって人形にエネルギーをもたらすという「意味」は副次的な要素でしかない。
一方、自分自身に呪いの言葉を浴びせかけるシステムを青子自身に当て嵌めてみることもできよう。なにせ、ここはミラーハウスである。自身を模した人形は青子自身であるという見方を、同一化を強制する場力が少なからず働いていると考えてよいだろう。であれば、人形が行う、自分自身を呪う自己攻撃・自己批判は青子の内心の働きにも呼応する部分はあるのではないか。それこそ、赤ずきんの少女に見て取れるような心情である。
そして、人形を差し向けた橙子は青子のそうした心を看破したうえでの行動だったのかもしれない。
拙い文章ですが、こういうことやってるよ!という宣伝とハードル下げにはちょうど良いのでなないでしょうか。『型月伝奇研究センター』はいつでもあなたを待っています。
p.s.今年はまほよミステリが書きたい。